若かりし頃のホウホウ!
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ホウホウの小学生時代、よく言われたあだ名が「ぼっちゃん!」でした。
「ぼっちゃん!」とは、何かやさしくて上品そうな感覚ですが、昔は本当に集中力もなく、吹けば飛ぶような存在でした。
イメージで言えば、子供の時は、あの「不二家のポコちゃん」という感じでしょうか。よく似ていました。(笑)
小学校時代には、百日咳きにもかかり、長生きできるかどうかもわからない少年でした。中学3年生くらいまでは、体調も悪かったです。
冬にはいつも手から血が流れ出るように、両手はあかぎれのひどい状態でした。いつも両手は子供なのに皮膚はシワシワで切れていて、痛くて辛くて、困っていましたが、毎日、軟膏を塗って辛抱していました。
しかしかわいい少年のように見えても、心意気というか、意識は強かったです。
ある日、六甲山で父が運転する車の中、接触事故が起き、談判中、若かりしホウホウは車からひとり降りて、山のガケから10センチ大くらいの岩のかけらを拾ってきたのです。
それはそのトラブルで、父が万が一、やられるようなことにあったら、その岩を投げて守ろうとした為です。
もちろん何事もなかったのですが、相手の運転手さんが、最後に車に来て、「大きな石を持った、かわいい、ぼっちゃんですね!」と言っていましたが、「あんたに投げる石ですよ!」と心の中で思い、ウインクしたのを憶えております。(笑)
小学生の時は、学級会やら、人前で発表するのが、超のつくくらい大嫌いでした。もう人前で喋るのが大の大の大の苦手で、あがる以前の問題でありました。その頃から先生に指名されないように、自己神様にいつも拝んでいたのを憶えております。
六年生の時に、面白半分の選挙で、嫌々、学級委員長にならされたことがありました。
週1回の檀上での司会が、大きなストレスと超重荷になりましたが、それをきっかけとして学芸会ではウクレレを弾くことができ、その年に流行った「ケメ子の歌」という曲を全校生の前で披露しました。
ただし卒業式の練習の日に大きなトラウマがあります。
どうしたことか、卒業証を貰ったあと、筒を落としてしまい、委員長なのに、六年生全員がいる前で担任に平手打ちされました。(今なら大問題です。)
恥ずかしくて悔しくて、大変ショックでしたが、ホウホウの想念のパワーの恐さを知らない先生は、その後、どうなったかはわかりません。おそらく・・・(笑)
そんな感じで少しずつですが人前で喋るのにも、慣れていきました。
時代はたち、今、50代の後半になりましたが、今は人前で喋ったり、歌ったりするのは、大好きというか「天職」のようにも思えます。(笑)
人間って変われるものなのですね。
そして今、手を見てみると、子供の時のあかぎれの手は、ツルツルピカピカの、「手のモデル」にでもなれるような、若くてしっとりとした手になりました。オッサンなのにね・・
今、そんな手でこのブログを打っております。
あの頃は一体何だったのでしょうかねぇ?
ホウホウ
It's up to you 、 すべては自分次第!